スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

内貴直次少尉逝く

昭和19年1月、ニューギニア西部サルミに上陸した第223連隊の内貴少尉は、未開のジャングルの偵察任務に服し、2か月後漸くサルミに戻ると、既に米軍爆撃を受け町は破壊。
次いで米軍が上陸、直ちに斥候を命じられ、アラレにて肩と腕に被弾するも報告。
更に前進しトム基地を詳細に偵察、友軍に通報、夜襲で緒戦に大勝、36師団長から賞詞を受ける。
次いで総攻撃に参戦、砲弾にて重傷を負い、麻酔もないなか片足切断となる。
マラリアの高熱に冒され意識朦朧と死線をさまよう中、奇跡的に回復、21年6月に帰還。

大正10年(1921年)京都に生まれ、東京で育ち、武昌でごく普通の会社員として働く。
小野田寛郎氏とはこの頃の友人。
召集を受け、幹部候補生となり青森に司令部のある223連隊に配属、少尉任官。
士官学校出身ではないが、当時は国民一人ひとりが国のため死力を尽くすのは当たり前の事であった。

平成19年(2007年)に『ニューギニア戦歌集』(文芸社)を出版。
その巻末に「お礼の言葉」として、以下の文章を残されました。


お礼の言葉

内貴 直次 


 拙き短歌を読んで頂きありがとうございました。これは実戦の非情さを伝えたく、決して手柄話の意図はありません。私はただ運が良かっただけです。最も気の毒なのは苦戦の末戦死された方達はもとより、戦わずして海没された人達の何と多かったことか、無念としか言いようがありません。私が訴えたいのは、何事も死ぬ気でがんばったら出来ないことはない筈であり、どんな苦難にも耐え目的に邁進すれば必ず成果が生まれるということです。


 私の人生の最後の言葉として遺しておきたいことは、今の日本人の心が非常に乱れていることです。このままでは日本の将来はありません。かつて小国日本が日露戦争で大国ロシアを破りアジアを護りました。昭和に至りアジア民族独立のため決起し、世界の強大国と戦い袋叩きにあい、三五〇万人を失い国土は灰燼に帰し、領土を失い敗れましたが、しかし世界の被圧迫民族に勇気を与え、アジア、アフリカの植民地まで独立を達成しました。彼らはこれをよく知っています。台湾やパラオは日本贔屓です。日本は正しい戦争をしたのです。何も卑屈になることはありません。私達戦士は聖戦の意義を弁え、正義人道に基づき住民を慈しみ敵を排除したのです。しかし科学の力に敗れたのです。


 ところが戦後の日本人はすっかりいじけてしまい、プライドをなくしてしまいました。謝ってばかりいて馬鹿にされています。私は『坂の上の雲』を読んで感激しましたが、明治天皇を始め政治家、軍人、経済人ら明治人の偉大さを知りました。大正・昭和人も大戦後廃墟の中から立ち上がり、松下幸之助や本田宗一郎のような世界的偉人も出て六十年で経済大国に復活しました。しかし平和に狎(な)れた日本人は、世界のきびしさを忘れてしまいました。


 昔ローマに滅ぼされたカルタゴは優秀な民族でした。経済も隆盛に地中海を制しハンニバルのような英雄が出ても、民族の心は乱れ団結が失われ、防衛の努力を忘れたため滅亡したのです。


 我々は歴史に学び自戒せねばなりません。国を愛し祖先を貴び、親、目上を尊敬し兄弟や友人、同輩と仲良く協力し、下を慈しみ、家族、血族は親密に、かくすれば日本人は団結し世界に伍してゆけるでしょう。私は日本人の優秀性を信じています。祖国よ永遠なれ万歳日本!



亡くなる直前まで、毎日1000mを泳ぎバイクで走っておられました。
享年九十四歳、合掌。

20141230_2.jpg

新風神奈川でご講演頂いた際の内貴直次先生(平成26年12月27日撮影)

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

溝口としもり

維新政党新風

 国民運動委員長、神奈川県本部代表

 参議院議員選挙 神奈川県選挙区候補予定者

facebook
twitter
YouTube
平成25年参院選 政見放送
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
RSS
検索フォーム
QRコード
QR
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
政治・経済
1168位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
政治活動
504位
アクセスランキングを見る>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。